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<おまけ>柔道史・格闘史の中の高専柔道

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ヘーシンク岩釣ルスカ佐藤.jpg<まだ、工事中>

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写真は、無差別級、重量級で、
全日本をそして世界を制した往年の世界トップの柔道家。
(左からヘーシンク、岩釣兼生、ルスカ、佐藤宣践)
この時代、それぞれが、高専柔道(または武徳会・武専)の経験者、出身者の指導を直接受け、講道館柔道を倒した
(・・・と言ってもいいんじゃ?)

彼らは、寝ても強かったからこそチャンピオンになれた。

かつて世界を相手に異種格闘技戦でも実力を発揮し、
海外で格闘技やグラップリング、
サブミッションレスリングに影響を与え、
「柔術」の名を広め、「柔道」の普及をもたらしたのは、
講道館の立技技術ではなく、
古流柔術出身者の仕留める寝技だった。
戦後も国内では講道館に居場所を奪われた
高専柔道、武専・武徳会の出身者が
実戦力、寝技力を発揮し、欧州などで強豪を育てた。
やがてその系譜も途絶え(戦後の日本では、
占領政策によって武徳会・武専が消滅、
学制変更などで高専柔道も消滅)、
立技重視の講道館柔道が主流になった・・・

(まぁホントの話でしょ。
だから海外の選手に寝技で負けるんだって!)

<参考>
●ヘーシンクの指導者:
・平野時男(拓大予科で木村政彦の後輩。20歳の時、紅白試合で木村を上回る四段15人抜きを達成。大学高専個人試合でも優勝。戦後ヨーロッパで多くの選手に柔道を指導)
・道上伯(武専出身。旧制中学の公式戦などはどうやら当時主流であった高専柔道ルールだったらしい。武専卒業後は助教授として高知高校を高専大会で通用するまでに育て、以後、高専大会の強豪だった東亜同文書院の予科で教授。戦後は武徳会解散などもあり渡仏。以後欧州で柔道を指導。生涯を通じて試合では無敗?!)
・松本安市(武専出身、全日本選士権者、天理大監督、高専ルール経験)
●ルスカの指導者:
・平野時男、松本安市(上記に同じ)
・岡野功(岡野先生が寝技の指導を受けたのは、東大OBの佐伯先生ほか、京都府警・天理大師範の細谷先生など。名著「バイタル柔道」は武専系統の技が多いと言っている。ちなみに岡野先生の寝技のライバルは天理出身の奥田義郎先生で、奥田先生は高専柔道の強豪同志社高商の元師範胡井剛一に習い、佐藤宣践、岡野功を寝技で破った)
●岩釣兼生の指導者:
・木村政彦(鬼の木村。立っても最強、寝ても最強の「高専柔道家」。ちなみに木村政彦の師匠で同じく全日本選士権者の牛島辰熊は高専柔道最強時代の六高で最強と謳われた野上智賀雄に寝技を学んだらしい)
●佐藤宣践(のぶゆき)の寝技の指導者:
・木村光郎(同志社高商出身。昭和12年高専大会では準決勝で木村政彦の拓大予科、決勝で北大予科を破り優勝。木村光郎は三角絞めと崩れ上四方を駆使して5人抜きという高専大会の決勝戦としては史上唯一の快挙を達成。)
・平田鼎(1922生、高専柔道の強豪、関西学院高等商業専門学校の主将、後に寝業研究会を主宰)
(ちなみにその指導を受けた佐藤はやがて寝技も最強の負けない柔道家、山下泰裕を育てる)

(以上は、「秘伝(2007年7月号)」、「秘伝(2012年8月号)」、「「富木合気道の実力」、「ヘーシンクを育てた男」・・などを参考にしました。)

参考:ブログ記事
「松本安市の近代柔道史(講道館・武徳会・高専柔道ルール・・)」

「松本安市の近代柔道史②(古流柔術)」

「国力(経済情勢)と武道の盛衰」について

「続・闘魂(高専柔道の回顧)」

2014.8.31のブログ:前三角発祥の謎