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その精神性と意義

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画像<注意:このページはまだ工事中。ライフワークとして?改定していきます>

実はルールの特性と戦略上、たいていの試合は寝技戦の末に「引き分け」になりますが、成り立つのは団体戦だから。そのために延々と練習する。その意義は、精神性は、身につくものは・・・やった人にはわかる。やってない人は・・・

画像①とりあえず、井上靖の「北の海」とか、増田俊也の「七帝柔道記」とかを読もう!
もし、やりたくなったら、
②若い人は、まず入学試験を受けてみよう?!
③もしダメでも、卒業後でも、未経験者でも、年寄りでも大丈夫。あこう堂がある。

<補足>
●「七帝柔道記」表紙の七大の道着に関して:
表紙の七大の道着は「七帝柔道記」の出版にあたり
表紙写真用として、著者(増田俊也氏)が、
七大OBから集めたものです。

(参考)「七大柔道記」と表紙の道着について

(参考)「北の海」の登場人物、大天井(名大小坂師範)に関して


<違う点>
たぶん、柔道の強豪の私大や、
柔道で食っていく「プロ大学生」とかとの違い、
普通の学生との違いは・・・
思いつくままに・・・
①部内で蹴落とし合い、イジメが起きない。
みんなが強くなって役目を果たさないと試合に勝てないから。
目指すところが違う。
①学校や年代を超えた仲間意識。
何よりしんどくてキツイのに、
少数派だし、世間に認められていない。
本来、学生の本分は学業のはず、楽しいこともあるはず。
全てを犠牲にして注ぐ膨大なエネルギー。
世間は分かってくれないが、
身内どうしなら全てわかってる。みんな仲間。
①要するに、関係のない人には
意義をわかってもらえない、身内だけの「宗教」。
だからこそ、結束する。
だからこそ、わかって欲しい。
①初心者から始めた人も多い。
それでも寝技なら強くなれる。
寝技は練習量、頭使ったかどうかが全て反映される。
逃げ場がない。何をやってきたか全部ばれる。
言い訳、ごまかしがきかない世界。
腹を割った、家族以上の付き合い、戦友。
①柔道のプロじゃない、仕事じゃないから、
逃げてもいい。退部すれば済む。
なのに、自主的にしんどいことをやる。
自分の意思で続ける。その克己心、精神力、生き様。
①卒業したらまずそんなに柔道しない。
例外はあるけど普通は仕事で頑張る。
柔道に使ってきたエネルギーを振り替えれば
大抵のことはなせる。その馬力と忍耐力の養成。
①毎日首を絞められる。絞めあう。
会社の上司が怒鳴るくらい屁でもなくなる。
耐久力。不動心。
①自分の役割を知る。身の程を知る。
全大学の仲間、OBが見ている。
滅私奉公、公徳心、利他博愛、諦観。
①痛みやしんどい行為に強くなる。生命力。
①人生を知る。人間を知る。人間力。
①・・・

<補足:今と昔>
今と昔っつうても
いつを切り取るのか、その人の年代にもよりますが・・

★高専柔道に比べれば
戦後の七大柔道は、まずすそ野のが全然狭いです。
野球の甲子園大会のように、
真の学生団体日本一※を決めてた「高専柔道大会」と
柔道界では弱小、マイナーな七帝柔道ではレベルの差はやむを得ません。
(※当時の状況なら高専柔道は、
実質的に着衣の寝技実力世界一でもありましょう・・)

さらに、七大柔道(七帝柔道)の歴史でも
柔道人気が高く、何十人もの部員から選手を選抜していた頃と、
試合人数(15人)を揃えるのが精一杯で、
入部したての1年生や白帯の初心者を
(寝技もできなくても)出場させざるを得ないという状況では、
自ずとレベルに差がでてきます。

いつの時代でも練習自体は
極限まで励んでるはずなのですが・・・

「昔」はどの学校も穴が少なかったので
「超弩級」の取り役、強豪でも
2人抜きくらいが限界だったと思います。
(ほとんどの出場選手が
選り抜かれた3、4年生だけで足りてたから
そうそう取られない。相手も固いので止められてしまう。
寝技でくると取る方も消耗するので強くても2人くらいが限界)

しかし、いつの頃からか、そこそこの選手でも
当たり具合によっては3人くらい抜いたり、
強豪だと5~6人抜きとかが
みられるようになりました(そんな気がします)。

「昔」は、スコアも(15人制の抜き勝負なのに)
2-1とか、3-2くらいが
結構多かったように思います。1-0とかもありました。
だいたい1人残し、2人残しくらい。
3人残しだと大勝、楽勝という感覚。

「今」というか(一時は?)、
人数だけそろえて出場したチームともなると
「穴」も多いので、7-8とか、8-2とか
そんなスコアも見かけるように思います・・・
立っていってあっさり投げられたりとか・・・
大敗だと6人残し、7人残しとか結構見る?

これは「昔」だと恥。あり得んという感覚では?
そんな負けだと応援のOBも
暴れるか、冷たく無視するか、虚脱・放心するかって感じ?
「今」は、「しょうがない」、「部員少ないもんな」、
「まぁ頑張った方やろ」、「また頑張ろか」みたいな感じ?

それでも、いまや連綿とこのルールを守り続けていくこと
それ自体にも意味がありましょう・・・
「レベルの差」ったって、
ちゃんと人数さえそろえば全然違うんですよ。
それをなんとかするのは
・・・現役部員と熱いOB、そしてアナタ?!(どなた?)

<相手陣営の選手に初顔の1年生を見たとき>
●昔:
「オッ、1年生なのに(先輩を押しのけて)試合に出てきた、
コイツは強いに違いない。油断ならんぞ」
●今:
「オッ、人数合わせの1年生か。ここは穴だぞ」

・・・みたいな。

<関節をキメられた時の自軍からの声援>
●昔:「(腕なんかどうでもいい、折れても死なん)マイッタするな!!」、
「死んでもマイッタするな!」
(実際に、折られても、脱臼してもマイッタしないことが多々あった。
だから、そこまでやらないと一本とれなかった)
●今:「マイッタしろ、無理するな」
(ずいぶん、人間的です)

<絞め技に関して>
●昔:絞めで「マイッタ」は有り得ませんでした。
考えられません。
そんな負けは、仲間にも先輩にも歴史にも顔向けできません。
かといって絞め落とされても顔向けできませんが・・・
●今:普通に「マイッタ」を見ることもあります。
(そんな気がします。本人は頑張ってるはずですが、
年寄りのOBからみると「アララ、
七大戦でマイッタしちゃったよ、あ~ぁ・・・」みたいな)

(参考)「国力(経済情勢)と武道の盛衰」について

(参考)「続・闘魂・高専柔道の回顧」

(参考)無声堂(旧制四高武道場)の名前の由来について